ヴェトゥイユのモネの庭 (Le Jardin de Monet à Vétheuil)
ヴェトゥイユへ移住した頃の作品。
「光の画家」とも呼ばれるモネの鮮やかな色彩が
光を巧みに表現しており
鮮やかな花々が部屋を一層明るくする事でしょう。
原画 : 制作1880年
所蔵 : ワシントン・ナショナル・ギャラリー
ジクレー+油彩画風直筆仕上げ
モネ「ヴェトゥイユのモネの庭」
1877年、パトロンだったエルンスト・オシュデが事業の失敗で破産し失踪した事もあって、モネの家族は困窮状態に陥りました。モネは、1878年(当時38歳)、マネ等から借金をして、滞っていた家賃を払い、アルジャントゥイユの家を引き払いました。
一時パリに住んだ後、失踪したオシュデの妻アリス・オシュデと連れ子七人、そしてモネの家族は、パリ北西のセーヌ川下流の村、ヴェトュイユ に一軒の家を借り、数奇な共同生活を始めました。夏の2~3ヶ月の予定が、最終的には3年間そこに住むことになります。
1879年9月5日、元来病気がちで、次男ミシェル出産後の肥立ちが悪かった妻カミーユが32歳の若さで亡くなりました。モネと不倫関係の噂のあった、アリス・オシュデに看病を受けながら、この若さで亡くなったカミーユの心中を察すると胸が詰まります。
妻を失った悲しみ、満足な看病も受けさせることが出来ず死なせてしまった妻に対する悔恨、オシュデ夫人との不倫の醜聞、極貧状態から抜け出せない生活苦等、この頃のモネは人生で最も苦しい時期にあったと言えます。このモネのピンチを救ったのは、モネの絵の才を寸分も疑わず信じ励まし続け、経済的なマネイジメント能力にも長けていたオシュデ夫人でした。
この作品「ヴェトゥイユのモネの庭」は、妻の死から2年後、精神面ではオシュデ夫人の励まし、 経済面ではデュラン=リュエルの支援を得、ようやく生活的困窮から抜け出し、これまで培ってきた画業を昇華すべくモネが再び立ち上がった1881年(年記には1880年)に描かれました。
自由闊達な筆使いと晴れやかな色彩は、モネの精神的な立ち直り と心機一転、己の画業を極めんとする気概を感じます。
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【額縁サイズ】
高さ65.5cm程
幅55cm程
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